弊社の歩みと弊社の想い

昭和26年

 父 昭美が若干16歳で建具の修行に入りました。

器用さと人一倍の努力で

親方より建具技術を学び、また商売の方法も独学で身につけていきます。

数年間親方のもとで修行に励みましたが、直接仕事の依頼も頂くようになり

親方の仕事と自分で受けた仕事もするようになります。

 

その頃はまだ車もなく 自転車にサイドカーをつけて建具を運んだそうです。

(この頃はまだ自動車が高価であまり普及しておらず

材木屋は材木を、大工さんは大工道具やはしごを、サイドカーに載せて運んでいたそうです)

 

昭和31年

小さいながらも建具製造取付業の看板をあげ、数年後人も雇うようになります。

 

昭和36年

母がお嫁に来たころは職人さんが住み込みで6人もおられたそうです。

 

祖母と母が、職人さんのご飯をしていたそうで

家族と若い職人さん6人・・・・

 

想像しただけでも賑やかで、そして大変な生活だったろうなと思います。

母たちの影の力も、うちの会社の大きな支えになってきたのだと思います。

その頃はまだ機械が普及しておらず、すべて手作業で建具や家具を作っていたので

今より大勢の人手がいったそうです。

昭和40年ごろ弊社の前での写真
昭和41年ごろ材木を並べた弊社と現社長の幼年期の写真

昔から父が培ってきた 木や仕事の知識や技術は私はすごいと思います
今でも父と神社仏閣に行くと 木の継ぎ方、建築工法など本当に色々なことを教えてもらいます。

 

そしてこの頃世の中は高度成長時代で、本当に沢山の様々なお仕事があったそうです。

日本全体が活気にあふれた時代だったのでしょうね。この頃から弊社も徐々に機械化をしていきます。

 

腕の良い職人さんと機械化した工場で仕事の幅も広がっていきました。

 

昭和55年

現弊社社長の義幸が1級建具製作技能士の番頭さんに弟子入りしました。

夜は大学に通いながらでしたが腕のいい職人さんの中で、一生懸命技術を磨きました

 

一方父はあちらこちらの現場を飛び回っていました。

神社の現場にて前社長の写真

細かい仕事が好きな主人は番頭さんに弟子入りして、

間近に腕の良い職人さんの技を見て様々な仕事を覚えるのが

とても楽しかったようです。

 

15年ほどたったある日、隅丸の格子戸を仕上げた主人に

番頭さんがじっと格子戸を見て「良い仕事をするようになったな~」と言ってくれたそうです。

 

今の主人があるのは番頭さんともう一人の1級建具製作技能士の職人さんのお陰だと思います。

平成10年

そして会社は法人化しました。

 

創業以来バブルの崩壊など色々な困難な時期もありましたが

皆一丸となって頑張ってきました。

平成22年

経営革新計画承認企業に承認して頂きました。

彩り障子の写真

平成24年

大阪府が認証する大阪のこだわりのものが集まる

大阪ミュージアムショップ(2013年事業終了)に

「伝統の麻の葉文様六角箱」を登録して頂きました。

そして彩り障子を2013年度の大阪製ブランドに認証して頂きました。

光箱の写真

その後imadoco (現在の床の間)シリーズ  「okidoco」が2016年の大阪製ブランド認証していただきました

大阪製ブランドのokidoco

今後も大阪格子戸や無双窓、親子格子戸などの伝統建具の古き技術を

現代の生活に合う形で残して行きたい、繋いでいきたいと思っております。

そして更に建具の技術を新しい形でも残していきたいとも思っています。

 

創業60年を越させていただいて、弊社が頑張っていけるのは

お世話になっています得意先様、業者様、職人さん

創業以来出会わせて頂いたすべての方々の

お陰だと深く感謝しております。

 

これからもお客様が喜んでいただけるものづくりを

笑顔になって頂けるものづくりを、一番に目指して行きたいと思っております。

 

長文を最後まで読んで頂きありがとうございました

                                        

 (種村建具木工所 2代目の嫁 種村貞子)